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東京地方裁判所 平成5年(ワ)9395号 判決

主文

一  被告は原告に対し、金二〇万円及びこれに対する昭和五九年二月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金三〇〇万円及びこれに対する昭和五九年二月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  第1項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  被告は、日刊新聞の発行及び販売等を目的とする株式会社で、日刊紙「スポーツニッポン」(以下「本紙」という。)を定期的に発行している。

2  被告は、本紙の昭和五九年二月一五日付紙面に、「甲野氏に保険金殺人の計画を持込まれた」、「あるサラリーマン、ショッキングな証言」などの見出しを付した別紙のとおりの記事(以下「本件記事」という。)を掲載した。

3  本件記事の掲載・頒布により、その一般読者は、原告が、昭和五五年ころに、A氏なる者に対し、お互いの奥さんを殺して保険金をとろうという計画を持ちかけたなどと解するか、少なくとも右のような印象を強く受けることとなり、原告の名誉は著しく毀損された。

4  極めて著名なメディアであり、相当の影響力のある本紙上において、本件記事が広く報道されたことは、原告の信用を重大に失墜させ、多大の精神的苦痛・打撃を与えるものであり、その影響するところは極めて深刻であって、原告の被った精神的苦痛を慰藉するには金三〇〇万円が相当である。

よって、原告は被告に対し、不法行為に基づく損害賠償請求として、金三〇〇万円及びこれに対する本件不法行為のあった日の昭和五九年二月一五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び反論

1  請求原因1及び2の各事実は認める。同3の事実は否認する。同4のうち、本紙が極めて著名なメディアであり、相当の影響力のあることは認め、その余の事実は否認する。

2  本件記事は、以下のとおり、原告の社会的評価を低下させるものではなく、原告の名誉を毀損するものではない。

(一) 原告はその亡妻甲野花子が昭和五六年一一月一八日、アメリカのロスアンゼルスにおいて原告とともに銃撃され、死亡した事件について、悲劇の夫を演じていたところ、昭和五九年一月ころから連載の開始された週刊文春の連載記事「疑惑の銃弾」において、銃撃事件の真相は、原告が何者かと共謀して自己の妻を襲撃、死亡させ、その生命保険金を取得することを目的とした保険金殺人、詐欺事件ではないかとの疑惑(以下「ロス疑惑」という。)が指摘され、これを契機に、週刊文春をはじめ、被告など各マスコミがロス疑惑及び原告の行状などについて大々的に報道するようになった。

(二) 本件記事は、ロス疑惑について、被告が「疑惑の銃弾・男と女と金と」というシリーズ名の下に、ロス疑惑が指摘された間もないころ連載を開始した記事の一つであるが、本件記事掲載当時、ロス疑惑及びそれに関連する報道が大々的になされており、原告に対しては、金銭的利益を取得するため、第三者と共謀して自分の妻を保険金取得目的で殺した疑いのある人物であるとの社会的評価が定着しており、原告の名誉は相当程度低下していた。

(三) 本件記事の内容は、あるサラリーマンが原告から殺人の計画を持ちかけられたことを内容としており、ロス疑惑に当然包含される類のものであって、本件記事が、前記のロス疑惑報道の結果定着していた原告の社会的評価を更に低下させることは全くない。

三  抗弁

1  免責事由

(一) 本件記事の内容及び掲載の目的

本件記事は、原告にかかるA氏に対する殺人未遂教唆の罪及び原告が既に疑惑を持たれ、後に公訴を提起された殺人の罪にそれぞれかかわる事実、すなわち、犯罪事実及びこれに密接に関連する事実を摘示したものであり、公共の利害に関する事実を内容としている。そして、本件記事はこのように重大な犯罪事実に関するもので、本件記事を報道することは、十分な社会的意義があったのであり、被告の目的は、専ら公共の利益を図るところにあった。

(二) 本件記事の内容の主要部分は、原告が保険金殺人を企画し、第三者に殺人の働きかけをしたとの事実であり、原告が殺人を持ちかけた相手が誰であるかという点は、それが誰かにより、名誉の低下の程度に消長を来すものではなく付随する部分にすぎない。そして、右の主要部分については、原告を被告人とする殺人未遂罪及び殺人罪の刑事事件において、前者について第一審、第二審において、後者については第一審において、いずれも有罪判決が出されているのであり、右主要事実は真実である。

(三) 被告は、以下の理由により、本件記事の内容を真実であると信じ、そのように信じたことについて相当な理由がある。

(1) 原告は、その妻亡甲野花子が銃で射殺されたことにつき、昭和五九年一月下旬ころ以降、週刊文春の連載記事を契機として、原告自身が関与しているのではないかとの疑惑を受け、社会的関心の的になっており、同年二月三日号の写真週刊誌フオーカスにおいて、原告の知人が昭和五二年に原告から「交換殺人」を持ちかけられていたとの事実を報道した。

(2) このような状況において、被告所属の記者百瀬晴男が、たまたま大手企業の社員から、前記のとおり、本件記事に掲載されたような「交換殺人」を原告から持ちかけられていた事実を打ち明けられた。右事実に関する右社員の話は、具体的で信憑性があり、また、右社員は虚偽の事実を捏造して殊更原告をおとしめなければならないような利害関係ある立場にはなく、しかも、右社員は大手企業の構成員であり、社会的信用もあったものであり、右の話は十分に信用できるものであった。

被告は、昭和五九年二月一三日、改めて右社員に電話で内容を確認した上、本件記事掲載に至った。

2  消滅時効

(一) 日刊の新聞紙による名誉毀損の場合、被害者が自ら又はその知人等を通じてその記事を入手することは、特段の事情がない限り、極めて容易である一方、その記事を被害者が入手していたことを新聞社側が具体的に立証する必要があるとするならば、その立証は極めて困難であり、被害者が記事の入手の時点を任意に選択して主張することを許し、二〇年間の除斥期間の経過がなければ消滅時効が完成しないこととなるが、これでは、三年という短期の消滅時効を定めた民法七二四条は機能せず、信義則に反することとなる。したがって、被害者は、記事掲載後数日経過した時点で記事を入手し、名誉毀損の事実とその加害者を確知していたと推認すべきであり、被害者の側で記事の入手が困難であった特段の事情を立証すべきである。

本件においては、本件記事が本紙に掲載された当時、原告は、逮捕、勾留等の身柄の拘束は受けておらず、原告に関する報道に常時接触できる状況にあったのであるから、本件記事の掲載された本紙の発行後数日経過していれば、原告が本件記事を入手することは客観的に可能であり提訴可能な状態にあった。

したがって、原告は、本件記事掲載後数日経過した昭和五九年二月末日までに本件記事を読み、名誉毀損の事実とその加害者を確知してたと推認すべきであり、昭和六二年二月末日の経過により消滅時効の時効期間が完成していたことになるから、被告は原告に対し、平成六年八月二六日の本件口頭弁論期日において、右消滅時効を援用する旨の意思表示をした。

(二) 原告は、以下の理由により、遅くとも昭和六一年一二月一日までに本件記事を読み、遅くとも同日までに名誉毀損の事実とその加害者を確知していたのであるから、平成元年一二月一日の経過により消滅時効の時効期間が完成しており、被告は原告に対し、平成六年八月二六日の本件口頭弁論期日において、右消滅時効を援用する旨の意思表示をした。

(1) 昭和六一年一二月一日に発行された雑誌「創」昭和六二年一月号に掲載された原告が執筆した「検証 甲野報道」との記事(以下「批判記事」という。)において、原告は、「二月になると日刊スポーツが『追跡・甲野太郎』という連載記事をスタートさせ、スポーツニッポンも『疑惑の銃弾・男と女と金と』というロゴタイトルで連日書きはじめたのです。」と記述しているが、本件記事は原告が右に引用した『疑惑の銃弾・男と女と金と』と題する連載記事の一つであり、しかも、原告は、批判記事の中で、本紙の昭和五九年三月三日付紙面と同月四日付紙面の内容を引用している。

(2) また、原告は、批判記事において、日刊スポーツの原告に関する同年二月四日、同月七日、同月一五日の各記事を摘示して批判した上、「同じ時期の、スポーツニッポンと比較してみても、日刊スポーツは憶測を事実のように書いている事が実に多いことに気がつきます。」と記載している。

(3) さらに、原告は、批判記事において、「この頃の、これらのスポーツ紙の取材がいかに底の浅いものであるかは、春枝の名を二月中旬くらいまで、“乙野春美さん”としていたことでもわかります。(中略)スポーツ紙やテレビ局では、この名前が本命だと思っていたらしく、二月二〇日を過ぎたあたりで初めて“丙田春枝さん”になったのです。スポーツニッポン紙では、この段階で体裁が悪いと思ったのか、乙野春美さん(本名丙田春枝)等と書き始め、それ以後、丙田春枝で統一していました。」としている。

3  権利の濫用

(一) 原告については、本件記事掲載後、いずれも他人に働きかけて亡甲野花子を殺害しようと図ったとの容疑で逮捕、匂留された上、起訴され、殺人未遂罪及び殺人罪でそれぞれ起訴され、このうち殺人未遂罪については、第一審、第二審ともに有罪とされ、殺人罪についても、第一審で有罪とされた上、公訴事実以外にも、原告が二名に対して殺人の依頼をした事実が認定されているのであり、原告に保護に値する名誉は到底存しない。

(二) 原告は、既に二〇〇件をはるかに超える名誉毀損に基づく損害賠償請求訴訟を提起し、数千万円にのぼる損害賠償金を手中にしているところ、損害賠償請求訴訟を提起する目的で一〇年近く以前の新聞記事の差し入れを受け、損害賠償請求訴訟を立て続けに提起しているものであって、本訴についても、正に訴えるために本件記事を入手して本訴を提起したものである。

四  抗弁に対する認否

抗弁1の各事実はいずれも否認する。抗弁2の(一)の主張は争う。抗弁2の(二)(1)ないし(3)の各事実は認める。しかし、原告が遅くとも昭和六一年一二月一日までに本件記事を読み、遅くとも同日までに名誉毀損の事実とその加害者を確知していたことは否認する。原告は、勾留中は、自分に関する記事について自ら収集することはできず、外部の人から差し入れを受けているもので、同一紙についてもバラバラに差し入れられており、一連の記事を連続して入手できたものではなく、原告が、仮に昭和六一年一二月一日までに本件記事を入手していたならば、当然「検証 甲野報道」の記事の中で、本件記事について具体的に触れていたはずであって、原告が本件記事を入手したのは平成五年四月ころである。抗弁3の各事実はいずれも否認する。

第三  証拠(省略)

理由

(省略)

(別紙〔新聞記事写し〕省略)

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